2011年04月14日
2011年04月10日
【はるかのひまわり】種蒔きしました
今日の高松は絶好の選挙日和・・・?(笑)
とっても良い天気で暖かかったので、はるかの種蒔きしました。

届いた20粒中12粒は直蒔きをして、

残りの8粒は保険の意味でプリンで発芽を待ちます。
時期とか気温とか、問題ないとは思っているのですがどうでしょうか?
問題はこの場所、日当たりが良くないんですね。家の南側なのですが、塀の影になるのです。ある程度背が伸びてくれれば日光を受けることができるのですが・・・。
水遣りに気を付けて、発芽したらまた報告します。
とっても良い天気で暖かかったので、はるかの種蒔きしました。
届いた20粒中12粒は直蒔きをして、
残りの8粒は保険の意味でプリンで発芽を待ちます。
時期とか気温とか、問題ないとは思っているのですがどうでしょうか?
問題はこの場所、日当たりが良くないんですね。家の南側なのですが、塀の影になるのです。ある程度背が伸びてくれれば日光を受けることができるのですが・・・。
水遣りに気を付けて、発芽したらまた報告します。
2011年04月09日
未来へ向けて・・・
年度末の仕事が一段落した3月後半から暇だったのですが、先週くらいから元請会社様より規格品のご注文を纏まった量いただいて生産量が上がってきています。加えて、東北地方のお客様名の付いた発注書も少し出てきた感じで、これから本格的に忙しくなりそうです。
前にも書きましたが、今年これから当社で作っていく物は、明日の被災地の為に、そして将来の日本の為にお役に立つものだと考えています。震災は不幸な出来事でしたが、それを乗り越えて確かな未来を築くために、All Japan で力を合わせなければなりません。当社もその一端を担うことができることに喜びと責任を感じて、真剣に仕事に取り組んでいこうと思います。
この国の皆様が心から笑える日の為に・・・
前にも書きましたが、今年これから当社で作っていく物は、明日の被災地の為に、そして将来の日本の為にお役に立つものだと考えています。震災は不幸な出来事でしたが、それを乗り越えて確かな未来を築くために、All Japan で力を合わせなければなりません。当社もその一端を担うことができることに喜びと責任を感じて、真剣に仕事に取り組んでいこうと思います。
この国の皆様が心から笑える日の為に・・・

2011年04月06日
【はるかのひまわり】届きました
はるかのひまわりの由来
兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどのスポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました。木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
「はるかは?どこや?はるかがいない。」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う。)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・。)
震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向って咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた。」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。
『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。
現在は各地で個人の有志に栽培されると同時に、毎年「NPO法人1.17希望の灯」によりはるかのひまわりが守り育てられています。
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第17代の種が届きました。自宅の庭で育てようと思います。

兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどのスポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました。木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
「はるかは?どこや?はるかがいない。」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う。)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・。)
震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向って咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた。」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。
『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。
現在は各地で個人の有志に栽培されると同時に、毎年「NPO法人1.17希望の灯」によりはるかのひまわりが守り育てられています。
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第17代の種が届きました。自宅の庭で育てようと思います。
2011年04月03日
4月に入って・・・
早いもので今年ももう4ヶ月め、新年度に入りました。
この1年、いろいろなことがありました。内職市場の挫折は、当社に大きな傷跡を残しました。閉店に関する手続きは既に90%以上終え、今後は経営立て直しの為、本業に専念することになります。当社本来の理念である『技術と誠心の物作り』に邁進していきます。
東日本大震災については、このところ注文書の数が減っているので悪影響は出ているのでしょう。しかしながら、復興に向けての需要も今後出てくると思っています。当社の業務が直接被災地の立ち直りに寄与するとのことを肝に銘じて、頑張っていきたいと思います。
個人的には、県外に出ていた長女と次女が一度に帰ってきて、家が賑やかになりました。長女は予定通り就職してくれたのですが、次女は進学ということで、あと2年学費がかかります。長男(末っ子)はようやく中学入学、一人前になるにはまだ時間がかかりますね。まだまだ頑張って働いていかなければなりません
この1年、いろいろなことがありました。内職市場の挫折は、当社に大きな傷跡を残しました。閉店に関する手続きは既に90%以上終え、今後は経営立て直しの為、本業に専念することになります。当社本来の理念である『技術と誠心の物作り』に邁進していきます。
東日本大震災については、このところ注文書の数が減っているので悪影響は出ているのでしょう。しかしながら、復興に向けての需要も今後出てくると思っています。当社の業務が直接被災地の立ち直りに寄与するとのことを肝に銘じて、頑張っていきたいと思います。
個人的には、県外に出ていた長女と次女が一度に帰ってきて、家が賑やかになりました。長女は予定通り就職してくれたのですが、次女は進学ということで、あと2年学費がかかります。長男(末っ子)はようやく中学入学、一人前になるにはまだ時間がかかりますね。まだまだ頑張って働いていかなければなりません
