2010年06月20日
人の為?自分の為?
最近、所属する中小企業家同友会のSNSで「人の為と書いて”偽”」との言葉を眼にしました。それはその記事を書いた人の作ではなく、誰かが言った有名な言葉らしいのですが。。。
その記事(というより日記ですが)を読んだ第一印象は「上手いこと言ってるな・・・」と。「貴方の為」とか言いながら、やってることが単なる大きなお節介だったり、挙句の果てには最終的には自らの利益になる巧妙な誘導だったり・・・、そういうこともよくあることだとは思いますし、自らがそんな行為をしないように心掛けなければならないな、とは思いました。
でもね、「企業経営者たるもの、自分や自社のことだけを言ってるようではダメ」と、これは普段から考えていることですし、実際吞み会の席のみならず、例会の報告(講演)等でもいつも言うことです。実際私は、普段から人の世話を焼くことにストレスを感じない性質(たち)なので、周囲の人に何だかんだ言って関わろうとする方です。それはモチロン、相手が嫌がっていないことを確認しながら、とは気をつけているものの、時には行き過ぎていることもあるのかもしれません。そういうことが無いように気をつけながらも、ともあれ、相手の為になることなら躊躇せずに言ってあげるべきだと、誰かれ構わずではないものの、きちんと付き合っている人にはそういう姿勢で対しているつもりです。
それは、まず第一には相手の為を想ってのこと、それは心からそう考えています。そして、何故そこまで相手のことを考えるのか? といえば、そこにはやはり、そうすることで自分も救われることもあるから、ということも出てきます。
どういうことかというと、人間って、大概は自分のことより他人のことの方がよく見通せるものなんですよね。自分が実際何に悩んで何を求めているのか? それに対する答えは、一歩引いた目線で見てくれている他人の方がよく分かっているということも多々あることなのです。自分自身も、相手が何に引っ掛かっているか? それが本人以上に見えてしまうことはよくあります。そんな時はアドバイスしてあげたいし、逆に自分がそんな状況の時は他人に助けて欲しいのです。
そして、そうやって他人を思いやることができる人が世の中に一杯出てきたら、この世界はもっと住みやすくなると思うのです。私の言っていることは、理想論だとは思います。でも、実際にね、例えば自分が何か良いことをした、と思った時、何か心が温かくなったり良い気分になったりもするでしょう。そんなちょっとした自分へのご褒美も楽しみながら「人の為」を考える、そんな行為は”偽”ではないと思っているのです。
結局は人の為でも自分の為でもある、つまりは「みんなの為」なんだと思います。
その記事(というより日記ですが)を読んだ第一印象は「上手いこと言ってるな・・・」と。「貴方の為」とか言いながら、やってることが単なる大きなお節介だったり、挙句の果てには最終的には自らの利益になる巧妙な誘導だったり・・・、そういうこともよくあることだとは思いますし、自らがそんな行為をしないように心掛けなければならないな、とは思いました。
でもね、「企業経営者たるもの、自分や自社のことだけを言ってるようではダメ」と、これは普段から考えていることですし、実際吞み会の席のみならず、例会の報告(講演)等でもいつも言うことです。実際私は、普段から人の世話を焼くことにストレスを感じない性質(たち)なので、周囲の人に何だかんだ言って関わろうとする方です。それはモチロン、相手が嫌がっていないことを確認しながら、とは気をつけているものの、時には行き過ぎていることもあるのかもしれません。そういうことが無いように気をつけながらも、ともあれ、相手の為になることなら躊躇せずに言ってあげるべきだと、誰かれ構わずではないものの、きちんと付き合っている人にはそういう姿勢で対しているつもりです。
それは、まず第一には相手の為を想ってのこと、それは心からそう考えています。そして、何故そこまで相手のことを考えるのか? といえば、そこにはやはり、そうすることで自分も救われることもあるから、ということも出てきます。
どういうことかというと、人間って、大概は自分のことより他人のことの方がよく見通せるものなんですよね。自分が実際何に悩んで何を求めているのか? それに対する答えは、一歩引いた目線で見てくれている他人の方がよく分かっているということも多々あることなのです。自分自身も、相手が何に引っ掛かっているか? それが本人以上に見えてしまうことはよくあります。そんな時はアドバイスしてあげたいし、逆に自分がそんな状況の時は他人に助けて欲しいのです。
そして、そうやって他人を思いやることができる人が世の中に一杯出てきたら、この世界はもっと住みやすくなると思うのです。私の言っていることは、理想論だとは思います。でも、実際にね、例えば自分が何か良いことをした、と思った時、何か心が温かくなったり良い気分になったりもするでしょう。そんなちょっとした自分へのご褒美も楽しみながら「人の為」を考える、そんな行為は”偽”ではないと思っているのです。
結局は人の為でも自分の為でもある、つまりは「みんなの為」なんだと思います。
Posted by まつ爺 at 23:40│Comments(0)
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